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北の旅  第68回「涙そうそう」

 曲が終わり、ふたりは拍手に包まれた。

「次、私が歌います!」

 手を挙げたのは、なんとポニーテールだった。もう曲は決まっているようだった。歌っていた女子大生と入れ替わりに椅子に座り、歌本のページを固定した。オッサンがヘエッて顔をした。アコースティックギターがスローテンポでつま弾かれ、美しい音色が響き渡った。イントロでわかった。「涙そうそう」だ。オッサンがうなずくように目くばせすると、ポニーテールは少しクセのある甘ったるい声で歌い始めた。

 彼女の歌は、決してうまいとはいえなかった。ただ、心がこもっていた。一生懸命だった。彼女はサビの高音部分で、すっとんきょうな声を響かせた。みんな笑った。だけど僕は笑わなかった。彼女の声が裏返るたびに、僕のこころは優しくしめつけられた。

 パラパラと拍手が鳴り、彼女の歌は終わった。オッサンは家族連れに歌本を差し出し、何か歌うよう勧めている。僕はオッサンに、ちょっと疲れているので失礼します、と耳打ちして、部屋をそっと抜け出た。疲れていた。本当に疲れていたのだ。なにしろ午前3時からずっと走り続けてきたのだから。

 2階へ上がり、布団を敷いたところまでは覚えている。布団に入るや否や、僕は記憶を持たない闇の中へストンと落ちてしまった。

               つづく